• 天皇賞 秋 2001

天皇賞 春・秋

第124回 天皇賞(秋) 2001年

2001年の天皇賞(秋)は、レース前からある事が原因で大きな議論となった。その議論は、外国産馬の出走枠に関するもの。当時、天皇賞(秋)において、外国産馬は2頭までしか出走が認められていなかった。1頭はこの2001年の宝塚記念を制したメイショウドトウ。この馬の出走に異論を挟む者はいなかった。問題はもう一つの枠である。

多くのファンは、この年のNHKマイルカップを制したクロフネの出走を望んでいた。しかし、そのクロフネよりも本賞金の多い外国産馬が登録してしまったのである。その馬の名はアグネスデジタル。ここ2走は、地方競馬の交流レースを使われていたアグネスデジタル。その2戦を連勝していたことから、ダート戦線を歩むものだと思っていた馬が、芝コースのG1に駒を進めてきたのである。この登録に、批判の声が高まった。この年の天皇賞(秋)はフルゲートに満たない13頭立てで行われたことも、その批判を大きくすることになったのだが・・・。

しかし、そのアグネスデジタルの出走を批判したファンたちは、レースの結果に沈黙を余儀なくされることになる。激しい雨の中で行われたこのレース、ハナに立ってレースの主導権を握ったメイショウドトウ、そして直線でそのメイショウドトウを交わして先頭に立った1番人気で前年2000年の覇者テイエムオペラオーを、馬場の中央からアグネスデジタルが差し切ってしまったのである。その姿は「俺にはこのレースに出るだけの、十分な実力がある」とアピールしているようにさえ、見えた。

アグネスデジタルはその後、香港カップ、翌2002年のフェブラリーS、更に2003年の安田記念を優勝。芝も、ダートも、地方競馬も、海外のレースも何でもこなすオールラウンドプレイヤーだったのだ。そして当時、枠から外れてしまったクロフネは同じ2001年のジャパンカップダートを圧勝。こちらもダートで新境地を開くことになる。出走枠をめぐる騒動は、大変なドラマへと真価を遂げたのであった。

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