天皇賞 春・秋




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1980年の天皇賞(春)は京都競馬場が改修工事の為に、阪神競馬場で行われた。単勝1番人気はシービークロス。前年1979年の天皇賞(春)では3着。同じ1979年の目黒記念(秋)を制している。長距離戦では安定した成績を残している馬だ。2番人気は1979年のダービー2着馬リンドプルバン。前走の鳴尾記念を制しての参戦となった。

そして3番人気に支持されたのが、この天皇賞(春)を制したニチドウタローだった。ビッグタイトルを獲得する馬としては異例の臨戦過程を経ていたのである。前走はわずか10日前のレースだった。阪神競馬場での1900メートルのオープン戦だった。何故、10日前のこのレースを走っていたのか?その前の大阪杯に理由があった。手綱を取っていた清水英次がレース中に落馬、競走中止となっていたのだ。村本善之に乗り替わったオープン戦はレコードタイムでの圧勝だった。この時の2着は1978年の天皇賞(秋)2着馬のテンメイ。このテンメイに8馬身差をつけたのである。実力馬を相手に大きな差をつけてのレコード勝ち。これなら陣営は色気を出すのも当然だった。

そしてニチドウタローは天皇賞(春)でも3分18秒7のレコードタイムで勝利する。2戦連続でレコードタイムを叩き出しての勝利だった。10日前のレースを使われ、そのレースに続いて2戦連続でレコード勝ちするという、「異例」づくめの天皇賞馬の誕生となった。そしてこのニチドウタローにはもうひとつ「異例」と言えることがあった。この天皇賞(春)以前に、重賞勝ちが全くなかったのだ。初めて勝った重賞がビッグタイトル・天皇賞(春)。重賞未勝利で天皇賞(春)を優勝した馬は、その後2009年のマイネルキッツまで1頭もいない。この天皇賞(春)のキーワードは「異例」ということで間違いないだろう。

1981年の天皇賞(春)は1979年、1980年のダービー馬、そしてそのダービーでの上位馬たちに注目が集まった。1番人気に支持されたのはリンドプルバン。1979年のダービー2着馬だった。翌1980年の鳴尾記念と高松宮杯で優勝している。この天皇賞(春)の前走アルゼンチン共和国杯では2着だった。そのリンドプルバンを破って1979年のダービー馬となったカツラノハイセイコが2番人気に支持された。そのダービー以降はビッグタイトルとは縁がない。そして3番人気にはそのカツラノハイセイコの1年後にダービー馬となったオペークホース。この馬もダービー以降は勝ち星がない。いずれもダービーでファンの注目を集める活躍をしながらも、その後は期待に応えることが出来ずにいる3頭である。この天皇賞(春)で久しぶりのビッグタイトル獲得となるだろうか?

レースは3コーナーの坂「淀の坂越え」で急にペースアップする。リンドプルバンとカツラノハイセイコが後ろから動き出す。この2頭より前でレースを進めていたオペークホースは4コーナーから直線で馬群の外を回る。激しい叩き合いとなった。

その激しい叩き合いの中、馬群から突き抜けてきたのはカツラノハイセイコだった。オペークホースが馬群の外を回ったのとは対照的に、馬群の中を突っ込むような形で直線に入り、馬群を割って伸びてきた。リンドプルバンとオペークホースは伸びを欠いてもがいている。代わりにそのカツラノハイセイコに襲いかかったのは地方・大井競馬出身のカツアール。ゴール前はこの2頭の接戦に。しかしカツラノハイセイコは怯まなかった。カツアールの追撃に怯むことなく、先頭でゴール板を駆け抜けた。2年前のダービー以来のビッグタイトル獲得となった。リンドプルバンは4着、オペークホースは12着にそれぞれ敗れた。

カツラノハイセイコは次走の宝塚記念でカツアールに敗れて2着。その後は脚部不安もあって、そのまま引退することに。以前にも脚元の不安から長期休養を余儀なくされたことがあった。脚元が丈夫ならもっと活躍が見込めた馬だったのかもしれない。1981年の天皇賞(春)での勝利はこの馬が持つ力をこのレースで凝縮させたものであったのだろう。


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